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芸科生の活動

芸科生の留学記──ドイツ編2009

第2回 倉庫街からみえる本当の観光地の風景 芸術学科芸術メディア系列3年 MYさん

 こんにちは。今回はハンブルクのシンボルである「倉庫街」についてとりあげます。そのまえに、ハンブルクにきたことのない方にも想像しやすいよう、ハンブルクがどのような都市なのかについてお話ししましょう。

 ハンブルクの正式名称はFreie und Hansestadt Hamburg(自由ハンザ都市ハンブルク)です。ドイツ連邦共和国の北に位置し、北海道よりも緯度は高く、偏西風帯に属するので、天候は非常に変わりやすいです。ドイツの面積が357,021平方キロメートルで、人口が8,230万人であるのに対し、日本の面積は377,835平方キロメートルで、人口は1億2,000万人です。ほとんど面積は変わらないのに、人口数があまりにも違うため、ドイツよりも日本のほうが過密していることがわかります。それは、ハンブルクがベルリンについでドイツ第二の都市であるにも関わらず、人口180万人であるということからもわかります。

 さて今回のテーマである倉庫街は、その名のとおり倉庫でできた街です。私の実家のある横浜にも赤レンガ倉庫という建物があり、それと倉庫街が似ていることから興味をもちました。倉庫街は観光ガイドブックにものっています。ヨーロッパの街並みをそのまま再現した鉄道模型博物館ミニチュア・ワンダー・ランド、ハンブルクの歴史をアトラクションにのって体験できるハンブルク・ダンジョン、博物館、喫茶店など、こどもから大人まで楽しむことのできる観光スポットが集結しているのです。実際に、ガイドブック片手にここを訪れる観光客を私は連日みています。毎日にぎわいをみせている倉庫街ですが、以前はちがう使われ方をしていました。

 ハンブルクにはドイツ最大の港、ハンブルク港があります。国際河川のエルベ川がここには流れていて、チェコとポーランドの国境地帯から発し、その後ドイツ国内に入り最終的にハンブルクを経て北海に注いでいます。以前は、運河を利用して交易がおこなわれていたので、エルベ川と北海の中間地点にあるハンブルクは、世界の海上交通の要でした。交易にともない必要となったのが、荷物を保管する「倉庫」です。この港にはエルベ川沿いに運河が何本も走っています。そのため、倉庫もこれに沿ってつくられました。1885年から工事がはじまり、第一次世界大戦とインフレーションの影響で途中工事が中断したものの、その後無事完成し、それぞれの倉庫が“Block A”“Block B”と名付けられ、“Block X”まであります。そうです、24個もの倉庫があるのです。そして、倉庫は何階建てにもなっているため、荷物はクレーンで直接最上階に運ばれていました。

 しかし時代は変わり、海上コンテナ輸送が主となったため、倉庫は不要になりました。そこで、広大な土地にそびえたつ倉庫を再利用できないかという考えにより、さまざまなお店の入る「倉庫街」に生まれ変わったのです。ハンブルク港は交易地点から観光スポットへと変わりました。

 古い建物を利用したことで、建設費はかかっていません。しかし、それでも100年以上前の建物をつづけて利用していることから、維持費がかかっています。今回、その年間維持費と資金源について調べることはできませんでしたが、今でもこの利用の仕方に異論をとなえている人はいるようです。

 しかし、とはいえ一度建設された建物を壊すにも、費用がいることはたしかです。この倉庫街がハンブルク経済の一旦をすでに担ってしまっていることから、街から消えることはまずないと思います。ガイドブックには、経済的利益をもたらすことしか書かれておらず、その実情は書かれていません。ぼーっと、ガイドブックをみていてもそれは部分的な情報でしかありません。ひょっとすると、みなさんがガイドブックを片手に旅行した(する)土地にも、裏事情があるかもしれません。

2009年8月23日

運河に沿って並ぶ倉庫

観光スポットのひとつ ハンブルク・ダンジョン 左端の看板より、この建物が”Block D”であるということがわかる

ガイドブックは断片的な情報の集まり

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